2011年2月12日のTwitter
「寒いから、今日は鍋にしようか」
「いいね!でも、それならこれから毎日お鍋にしないとね」
「……」


夏になったら書きたい話。
「この部屋、寒っ!ねぇ、エアコン止めてくれる?」
「…エアコンなんて付けてないけど」
「?!」


しかしどんなに暖かい話も、安売りの炬燵にすら敵わないという真理。

役所の市民課に炬燵を設置すれば、何かと色々便利なような気がする。
企業の会議室でもいいけどね。

例えば病院で、癌の告知を炬燵を挟んでしてみてはどうだろう?
もちろん医師は患者と家族にミカンを勧めるわけだ。
あんがい冷静に聞けて治療計画なんかも充分話し合えたりして
(文句言いたいわけじゃないけど僕なんかナースルームで告知だったしー)

同じ話でもシチュエーションを変えるとインパクト(受け取り方)も変わるという事。
炬燵を用意するのが難しければ、時間や場所を変えてみる。
結果はどうせ同じなんと思えば、やってみても損はないかも。

「忠告や注意は金曜日にする」という人がいる。
土日で気持ちを切り替えられるだろうからという配慮なんだそうだ。
でも、その論法では、土日でその忠告や注意も忘れてしまいやしないのか?
なんて事は、怖くて当人には聞けない。


忠告や注意は月曜日の朝一に言って、その後5日間、ねちねちとみっちりチェック!
これで彼は二度と同じミスをしないだろう。
よしよし、これも彼の為だ、心を鬼にして
…あれ?なんかこのお茶苦いな…ぐは!ううっ、げごがごうぐぐ……
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町中美術館都市宣言

最近の疑問。
地域振興にアートを活用しようという意見を聞くが、アートってつまり美術で、美術ってそんなに若い世代に人気なんだったろうか?
自分は、年間、割と美術展観ている方だと思うのだが、来場者の年代は極めて高齢化しているというのが実感。

もう1つ。
アートって具体的に何を指すんだろう?
具象、前衛、ポップアート?
例えばジャコメッティみたいな彫刻が林立する公園なんて、子供が怖くて泣き出して、ノンビリするどころではないと僕には思える。

そこら辺をはっきりさせておかないと「地域振興にアートを」は工事現場の小学生が描いた「未来の想像図」と何ら変わりない。
僕は子供の絵をバカにしているわけではない。
それでいいならわざわざ「アート」と呼ぶ必要はないんじゃないかと思うだけ。

ところが「アート」には根元的な問題があって、美術は嗜好性が高く万人受けされ難いということ。
岡本太郎は有名だけど、万人が岡本太郎の絵画を「素晴らしい!」と感じるわけではない。

もう1つの問題は「多くの人は美術なしでも生きていける」ということ。
残念ながら学校では、美術が人生にどれほどの潤いをもたらすかなんて事は教えない。
結果、たまたま興味を持った僕のような者が美術好きになるだけ。

そこで「地域振興にアートを」で取り込むといいのが「美術体験」。
足利市には夏の花火大会に合わせて「町中美術館」と銘打ったイベントがある。
これは子供に花火大会の絵を描かせて市内の店舗に飾ってもらうというもの。
親は当然、我が子の絵を見に行く。これを花火大会以外にも応用出来ないだろうか?

「町中美術館都市宣言」

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2011年2月4日のTwitter
離れられないのは子供ではなくて親の方。
しがみつくのも大概が親。

子供の為に親が職変えたとか何かを諦めたとか、そんなのたぶん大したことないはずで、親のせいで生き方すら変えざるを得ない子供の方が、古今東西多いはず。

一匹狼でいたいとか野生がいいとかいう人が、どれだけ本当の野生を知っているのかという疑問。
動物ですら子供の時には一人で狩りは出来ない。
では、人間の子供が野に放たれたら?
ここで言う「野」とは、狭い狭いアパートの一室だったりするのだ。

とはいえ、やっぱり今は便利な時代だから。
コンビニで何でも手に入るし、間違いなく緊急避難所の要素を兼ね備えている。
カギかけられて内側から出られないようにするって難しいし、とくかく近くのコンビニにさえ行ければ、わざと万引きし警察呼んでもらえば、なんとか道は開ける。
問題は、虐待を受けるほとんどの子どもが、そのやり方を知らないって事。
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2011年1月24日のTwitter
今はフリーターという耳障りの良い形容詞があって羨ましく思う。
僕は30年ほど前に6年ほど、ずっと「プータロー」と呼ばれていた。
 プータローとは「正社員でない者」を差す言葉。
ただ、今より良かった点を一つ挙げるなら、
「職業:アルバイト」でも難なく東京でアパートが借りられた事。
そう言う意味では、時代に助けられていたのかもね(しみじみ)

だから僕が今、若僧だったらきっと、ネットカフェ暮らししていたのかもしれない。
昔、一人で生きられた経験が、
100%現代で通用するわけではないのだと、
理解しておかないと。
自分への戒めのために。

それでも1ヶ月1万円生活なんて全然楽勝じゃん!
って思うけどね。
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2011年1月20日のTwitter
私見では、ツイッター最大の魅力は、未だ不安定なシステムにある。

「何で私のツイート無視したの!」
「無視なんかしねーよー。なんか昨日、調子悪かったみたいでTL更新されなかったじゃない? たぶんきっとそのせいだね」
「ふーん、じゃあ、仕方ないか」

携帯の普及により、我々はほぼ完璧な意思伝達手段を有してしまった。
お陰で多くの名作推理小説が現代を舞台にリメイク出来ない。
ところがツイッターが全国民に普及すると「あやふやな世界」が再び我々のものに!
例:アリバイ工作にツイッターを使ったが運悪くクジラ出現。
焦る共犯者。
その時DMが…

また、「あやふやな世界」を我が国が取り戻すためにはまず、ビジネスのやり取りは全てツイッターやればいい。
これで商談が1時間遅れても、商品の入荷が翌日になっても、もうだれも文句言わないしイライラしないし、忘れかけていた「諦め」を思い出す。
名案?
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夜鳴きそば
最近では珍しくなった流しの夜鳴きそば。

「そば」とは言うがもちろん売っているのはラーメン。
昔懐かしいチャルメラの旋律を流しながら毎週同じ時間にやってくるので、
いずれ失われる文化と思い、娘を誘い食べることにする。



知らない人のためにシステムを紹介しておくが、常設型の屋台と違い夜鳴きそばの場合は、自宅からどんぶり持参で声をかけ、出来上がったら自宅に持ち帰って食べる。
椅子やテーブルは用意してないが、もしかしたら使い捨ての容器などは準備しているのかもしれない。
であればその場で立ち食いも可能なのかも。

調理場は極めて合理的でコンパクトな配置。
このあたりはキャンピングカーに相通じるところがある。



ラーメンは平均的な味なれど、特異なシチュエーションに加えて手作りチャーシュー、煮卵が付き、娘共々大満足な体験だった。

そしてたぶん、娘達にとっては最初で最後の夜鳴きそば。
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2010年1月7日のTwitter
いつもスタッフ3人で回している近所の吉野家が、今日のお昼は何故か2人で回していた。
当然回らない。
しかもよりによって来店多しで、店内ほぼパニック状態。
でも一人としてキレるお客さんがいない。
みんな静かに注文取りに来るのを待ちレジを待つ。
不思議...
これはたぶん、この2人が精一杯やっているのがちゃんとみんなに伝わっていたから。
僕なんか逆に「すげー!」と思ったし。
厨房などがオープンである効果の一つかも。
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廃墟準備中

 旧雇用促進住宅。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%87%E7%94%A8%E4%BF%83%E9%80%B2%E4%BD%8F%E5%AE%85?wasRedirected=true


時代のニーズとマッチしなくなり閉鎖。
足利市では、他の市営住宅に充分な空きがあることから購入は見送ることに。
結果、廃墟と化すべく、着々と準備中。


冗談めかして書いているが、市内の割りと中心部にある10階建てくらいの建物なのだから、こんなものが幽霊マンションになるのは大変に困る。
困るというか、あまり気持ちのいいものではない。
しかし、ではどうすればいいのかなと思案してみても、残念ながら妙案は浮かばない。


だからこそ、この建物は荒れたままなのだ。


それにしても10年後を想像するとかなり憂鬱になる情景かもしれない。


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ふるさとは
 基本的には地方都市暮らしに満足しているのだが、時には都会の雑踏や情報量が懐かしく、うらやましく感じられることがある。
それは特に夕暮れ時。
ビジターとしてではなく、ここで生活している自分をこの情景に置いてみる。
「ふるさとは遠くにありて思ふもの」と言うが、現実には東京は僕の故郷ではないし、何年か住んでいただけなのだが、それにしても室生犀星のこの詩は、僕が東京を思うときの心情にやけに合致している。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや



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近代化の功罪
 旧木村浅七工場事務所棟(足利織物記念館)



栃木県足利市は明治から昭和初期にかけて織物生産で栄えた関係で、多くの近代西洋建築が建てられた。
30年ほど前、20歳くらいだった僕は、当時の足利市長、町田氏を囲んだ座談会に出席する機会を持ち、その席で氏の文化財保護に関する計画(姿勢)について尋ねた。
その時、町田市長がこう答えたことを僕は今でも忘れない。

「特に何もありません」

1980年頃、バブル期の黎明期でもあり、観光資源などよりも工場誘致、商業拡大が最優先された時代。
その時代に貴重な、そして今残されていれば、極めて有用な観光資源となったであろう多くの近代建築物が破壊されていった。

今は破壊を免れたわずかな遺産が、モザイクのように点在する街、足利。
「発展」「進歩」の名の下に、多くの貴重な建造物を破壊尽くした日本の縮図がここにある。
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