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東海道を少しだけ3(美少女の美術史展とカトリック清水教会)
もはや東海道とはまったく関係ない、関係ない内容なのだけど、同じ旅行で巡ったところなのでタイトルもこのままにしておこう。
というかブログのタイトルって難しいですよね、あとメールの件名考えるのもとっても苦手で億劫なので、個人的にはSNSの流行は大変に有り難いのです。
 
さて、実は僕が静岡県を訪れた最大の目的は掛川城でも東海道の宿場町でもなく、この美術展に行きたかったから。
青森・静岡を巡回して、来週からの島根が最後の開催地。

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公開エリアの展示物

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いやこういうのが観たくてはるばる静岡まで行ったわけではなくて、明治〜大正〜昭和と、どういう風に「美少女」というジャンルが確立したのかが知りたかったのだけどさ。
というか「子供の誕生」と根は同じなんじゃないかと僕は考えていて、美少女というか「少女(および少年)」という概念そのものが歴史的には実はたぶん新しい。

「<子供>の誕生」〜アンシァン・レジーム期の子供と家族生活
フィリップ・アリエス著(みすず書房)

以下はウィキペディアからの引用(強調部分は僕)

「近代的な学校教育制度が現れたのは、17世紀のことである。当時の教育者たちは、古代には存在した学校教育を倣い、「純真無垢」を理念とした。「純真無垢」とは何か。子供と大人を引き離すこと、特に子供にとってセックスを禁忌にすることだった。また、子供として保護される期間の延長も提唱した。この時期から、美術も子供をテーマにし始めた、それ以前は美術が子供をテーマにすることはなかった、と述べる」


こんなことを検証するためだったわけだけど、結果、やはり江戸時代には「美少女を描く」という概念は希薄であった、というのが僕の感想。逆に、江戸時代の美術品から「美少女」(と解釈できるもの)を探し出すのは大変な作業だったろうなあ、学芸員ってすごいよなあと、変なところに感心してしまった。

で、日本における「美少女=少女」の誕生については国策である銃後の守りとしての「良妻賢母」を量産するために少女雑誌が利用された結果、というのが(たぶん)定説だと思うのだけど、そこら辺の経緯が詳細に記された資料を見つけたので貼り付けておく(PDFで全45ページ)。

「少女雑誌にみる近代少女像の変遷:『少女の友』分析から」
今田 絵里香 北海道大学大学院教育学研究科紀要, 82: 121-164

ネットはこういう労作をササッと検索して読むことが出来るから本当に素晴らしい。

あと個人的には「美少女」と銘打っていながらどうして「美少女戦士セーラームーン」に一言も言及がなかったのかがとても不思議。
あれはかなり重要な作品であり出来事であったと思うのだけどなあ。

さて、図録も買って満足した僕は、静岡県最後の目的地、カトリック清水教会へ。

カトリック清水教会HP>カトリック清水教会のあゆみ(1)
http://www.shimizu-catholic.jp/ayumi1.html

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カトリック清水教会は昭和10年完成の典型的ゴシック建築。
まるで地方都市に近年乱立する結婚式場のようだけど、それはつまり多くの結婚式場がゴシック様式の教会堂を模倣しているってこと。
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教会内部
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バラ窓があるー
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バラ窓ではあるけどステンドグラスではないので、しょぼいコンデジでは色が飛んでしまう。
だからせっかくの聖母子像近影もUFO船内のように…
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そして少ししてから気づいてびっくりしたのだけど、ここカトリック清水教会も床が畳張りであった。
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参考画像(カトリック鶴岡教会 明治36年完成)
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鶴岡教会は明治だし東北だしーと勝手に納得していたのだけど、東京に近く昭和になっても畳張りの教会があったという、この個人的衝撃。
ネットでググれば「日本のキリスト教会における床の変遷」なんてテーマで研究している学者さんを見つけられるだろうか?

以上、一泊一日、静岡県の旅。
短い訪問だったため多くの名所旧跡を泣く泣く素通りし、近代建築の宝庫、静岡市中心街にも立ち寄れず、何よりもこんなに近くで、しかも天候に恵まれたというのにどうしたわけか富士山を拝めず。
まさか…近すぎて(巨大すぎて)見られないなんてことはないよね。

 
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