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東海道を少しだけ2(掛川〜藤枝、旅籠編)
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今回のブログのテーマはずはりこの写真。
弥次さん喜多さんがくつろぐこの空間は個室なのか大部屋の一角なのかという問題。

単なる歴史ファンとして、色々調べてるつもりなのだけど未だに分からないことがいくつもあって、例えばその一つが「江戸時代の旅籠って結局どんな感じだっただろう?」ということ。

というのも江戸時代には本陣・脇本陣・大旅籠・中旅籠・小旅籠・木賃宿というものがあって、本陣は大名格、脇本陣はその家来たち、というところまでは間違いないと思うのだけど、大旅籠には武士や公家しか泊まれなかったとか、庶民が泊まれても大部屋雑魚寝で個室はなかったとか、水戸黄門御一行は、実際には副将軍でも商人を偽っているわけで、その水戸黄門が風呂もない、畳も敷いてない大部屋に助さん格さんと一緒に寝転んでいただなんて、いくらフィクションと言えどもなんか納得できない。

だらだらと文章で書いたのでは余計に混乱してしまうので整理して箇条書きにしよう!

本陣・・・大名
脇本陣・・大名の家来
大旅籠・・一階は武士・公家/二階は武士・庶民(二階に個室無しの文献と個室ありの文献)
中旅籠・・大旅籠と小旅籠の中間(としか言いようがない)
小旅籠・・庶民(個室無し、更に旅籠によっては板床にムシロ)
木賃宿・・食事・風呂無し(個室無し)

ちなみに江戸時代の旅籠には温泉は引かれていなかったので、大浴場もなく全てが五右衛門風呂であったらしい。

以上の情報を元に冒頭の写真を改めて見ると「ここは大旅籠の二階の大部屋の隅の一角である」という推察がたぶん正解、のはず。

真実はいったいどこにあるのだろう。

というわけで掛川城のあとに訪れたのは同じ掛川市にある日坂宿。
ここには2件の旅籠が現存している。

一軒目は川坂屋。
記録には記されていないが脇本陣格の宿泊施設であったと思われるとのこと。
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この2階の格子戸は、下を通る大名行列や武士を直接見下ろせなくするためで、うっかり武士と目があると刃傷騒ぎになってしまうからだとガイドさんが教えてくれたのだけど、では下の旅籠、同じ日坂宿の萬屋の開放的な2階はいったい何なんだ?と疑問がどんどん湧いてくる。

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ふたたび川坂屋に戻って2階の通りに面した欄干にある松竹梅の透かし彫り。
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その部分を街道から見上げるとこんな感じ。まさか透かしになってるとは思わない。
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こういう細かな装飾が脇本陣格であっただろうと推察される理由の一つで、そもそもが床の間付きの上段の間があるから普通の旅籠ではないってことらしいけど。


ついでに川坂屋と萬屋の玄関部分の比較

川坂屋

萬屋
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これは確かに格が違う。

下は萬屋の2階へ上がる階段。保存状態が良くないみたいで残念ながら2階へは上がれず。
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ついでに萬屋近くの問屋「藤文」の水回り。
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古い建物の水回りを撮るのはもう単なる個人的な趣味であります。

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掛川市を後にして今度は藤枝市、岡部宿の大旅籠、柏屋へ。
ちなみに「かしばや」と読むのだそうだ。

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いきなり弥次さん喜多さんがお出迎え。
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この2人は2階にもいた!(これが冒頭の写真)
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それにしても柏屋は大旅籠だけあって確かにでかい。
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そしてここは「みせおく」、奥にあるのが上段の間。
一階はこんな感じなので、大旅籠でも一階はやっぱり位の高い武士や公家のための空間。

そして二階は途端にこんな雰囲気になる。
時代劇でよく見かけるのと似ている(ただし大部屋)
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僕はここでも日坂宿と同じ説明を受けたわけです。つまり大旅籠の一階は武士・公家のため。二階は庶民が泊まれたが個室はなかった、と。

真実はいったいどこにあるのだろう(振り出しに戻った気分)
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