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改めて宗教とは何だろうかについて考えてみた(メモ)
人が人である根拠は「分かること」と「分からないこと」の両方を意識出来ること。そもそも動物には分かったという自覚はないだろうし全て分かったらそりゃ神でしょ、って意味。人間は分かることと分からないことどちらもあると知ってしまった存在

人は分かることを集積していって知識や文明を築き上げた。でも分からないことに関しては、ただ分からないことが増え巨大化していくに任せるしかなかった。つまり分かることとは「分からないことを知ること」そして分からないことの始末に困り果てた。

仮に文明にエントロピーの発生が必須であるならそれは恨みや憎しみなんかじゃなくて「分からないこと」に他ならないのではないか。そして処理できないエントロピーを一気に昇華させるために誕生しのが宗教なのではないか。

実は恐怖や不安は「分からないこと」から生じる。つまり分からないことが人間生活を脅かす。しかしこの「分からないこと」を「分かったこと」に変換できてしまえば話は簡単。ここでたぶん歴史上初めて「神」という概念が発明された。

とりあえず「分からないこと」全てを「神のみ業」とする。分からないこと恐ろしいことは神のせいにして人間にはどうしようも出来ないことだと納得する。たぶんこれが原始信仰。ただこれだけでは未完。全ての「分からないこと」を飲み込んでしまった神は全知全能でありながら全ての理不尽さをも行使する。

だからここで「代理人」が必要となる。神との意志疎通は代理人にしか成し得ず、人間は代理人を通してしか神と会話することが叶わない。代理人の役目は神の本質である「分からないこと」と噛み砕いて人間に説明すること。ここで初めて「分からないこと」の一部が「分かること」に大転換される。

つまりここまでの説明で分かったことは、宗教とは人間が文明を持つと同時に背負ってしまったエントロピーを「分かること」すなわちプラスのエネルギーに転換することを目指した画期的な哲学であり理論なのだと。

このように「代理人=教祖」がいないと宗教は成り立たない。そしてこの代理人の発明こそが、人類史上画期的な転換期になったのではないかなと(ユダヤ人以外にほとんど広がらなかったユダヤ教を想起。ユダヤ教には代理人がいない)

宗教は「代理人」を発明したことで画期的に成長し、人間も神(分からないもの)ではなく人語を解する代理人と対峙すればいいのだから気楽。しかしこれが逆に独占とか特権という概念をも生み出してしまったわけで、便利なものは凶器にもなりうる典型例とも言える。

この転換点はもちろん初代教祖が死を迎え二代目に引き継がれるときだと思うのだけど、たぶんこの宗教構造は既に研究されていて、初代教祖がそもそも特権を得ようとする教団が出てきたと。そして更にはその特権を得たいが為に教団を創設するとかね。

僕は長らく宗教の本質はその教義にあると考えてきたのだけど(だから目新しい教義さえ思いつければ宗教は作れると考えていた)どうやらそうではない。宗教とは「分からないもの=恐れや不安」を代理人を通じて「分かるもの=天国や霊性の存在」に翻訳すること。

つまり教義と翻訳は別物であって極論教義は既存の経典丸パクリでいいのだと。では翻訳とは何か?それは例えば天国を別の言葉に置き換えること。救済を別の言葉に置き換えること。原罪を別の言葉に置き換えること。

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