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楽しめる人
 世の中には、楽しめる人と楽しめない人がいる。
その違いは往々にして、自分の認知の癖に由来すると考えられる。

こんな例だとわかりやすいのではないだろうか?
棚ぼたで1万円を手にしたとしよう。
「やったー!これで何をしようか?」とわくわくする人と、
「1万円なんかじゃあっという間になくなってしまう」と文句を言う人が世の中には存在する。
この場合、「対象=1万円」という事実はまったく同じなのである。
同じなのに人によって反応は異なる。
さて、どちらの人が物事を楽しめるだろうか?

事例を人間関係に置き換えて考えてみる。
A「○○さんは、少し作業が遅いんだなー」
B「○○さんを見ているとイライラする」
この場合の「○○さん」は同一人物である。
そしてこの場合、ABどちらの受け止め方が精神衛生上好ましいと言えるだろう。

Aの場合、○○さんは作業が遅いのだから指示は早めにしようとか、同僚であれば、尻ぬぐいさせられないように早めに手を打っておこうとか、具体的な対策が考えられる。
(慈悲心がある人なら手伝うことも可能だろう)
しかしBの場合、具体的な策は浮かばない。
自分がイライラして、場合によっては○○さん本人にイヤミや文句を言うだろう。
しかしいずれにしろ、損をするのは自分だと言うこと。

実は「手にした1万円に嘆くこと」と「他人に苛つく」は、人の同じ認知の仕方に基づいた反応であると言える。
それは自分ではなく、相手に変化を求めたがる認知の癖にある。

1万円がどんなに不満であっても、念じようが思案しようが10万円には変わらない。
○○さんにどんなに苛ついても、○○さんが突如期待通りに変身するわけではない。
これはきわめて当たり前な事実なのに、時として人は「相手が変わるべき」という認知に囚われてしまう。
結果、ストレスは溜まるし色々なことが楽しめない。

ちなみにこれは、愚痴が生産的でないこととほとんどイコールである。

しかし残念ながら、当人に問題意識がある場合はトレーニング等である程度この認知を変えることも可能かもしれないが、当人に問題意識がない場合、つまり身近にこのような「他人の変化を求める」者がいた場合、周りの者も楽しめなくなってしまう問題が生じる。
なおかつこの認知が伝染して「いつも相手に変化を求めてばかりの○○が悪いんだ」と、結局いつの間にか自分も「相手に変化を求める」ようになってしまったりもする。

従っていずれにしろ、何かに苛ついたり楽しめないことに気づいたら、「もしかして自分は、相手のせいにしてはいないか?」と自分の胸に聞いてみることが大切だろう。
この繰り返しが、認知の癖をきっと正してくれる。
という振り返りの癖こそ、ぜひ身につけたいものだ。
| onai shigeo | コミュニケーションスキル | comments(0) | - | - | - |
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