保存と修復と復元と(宮城県村田町と白石市で思う)
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宮城県村田町と白石市を歩いてあれこれ考えた。

村田町に残る武家屋敷、旧田山家住宅

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平成6年に町に寄贈される前は住居として利用されており、茅葺き屋根は鉄板で覆われている。

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平成になるまで人が住んでいたのだから当然至るところが改造されている。

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建物内部も庭も公開されていないので、3枚目は塀の隙間からスマホを差し出して撮ったもの。
ほとんど手入れがされていない。

とにかく平成6年に町に寄贈されてからもどうやら一度も調査がなされていないようで、その状態で20年、というのは違う意味で興味深いのだけど、いずれにしてもこのままでは建物が傷んでくるだろうから、何とかしなくちゃとは思うのだけど予算が…という事なのだろうなと勝手に推測。

ちなみにこの宮城県村田町は昨年町の一部が重要伝統的建造物群保存地区に選定され、それはそれで大変に趣があって素敵な町なのである。

村田町 蔵の町



こういう経緯だから町の様々な資源は重要伝統的建造物群保存地区に集中せざるを得ないわけで、地元足利市の観光資源に対する偏向っぷりを日頃目の当たりにしてるから、ここら辺の事情は他人事ではない。

この村田町を南下すると白石市がある。

白石市の見どころと言えば木造復元された白石城。



で、この白石市にも武家屋敷があって、こちらは修復・公開されている。

白石市 片倉家中武家屋敷(旧小関家住居)
(冒頭の写真もここ)

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先ほどの、村田町の一切手が加えられていない旧武家屋敷を見たあとここを訪れると、歴史的建造物を保存公開することの難しさが痛いほどに伝わってくる。
ちなみにこちらは平成3年の寄贈だから、時期的には村田町と大して変わらない。

古い建物が使用されながら残っていること自体が奇跡みたいなものなのだけど、それを残して修復して公開するまでの遠い道のり。
実際に住んでいたから残ったわけなのだけど、住んでいたからこそ改修・改造は必須なわけで。
逆に100%復元の白石城はこの先250年は保つという。

見学する側の者として、オリジナルにできる限り近い方が有り難みがある、とずっと考えてきたのだけど、それらを維持する側としては、予算や負担の面からも、この「オリジナルにできる限り近づける」ことこそが何よりも難題なのだろう。

さて、村田町の武家屋敷はいつの日か公開されることがあるのだろうか。
個人的には、20年間空き家だった現状のままで見学してみたいと強く望むのだけど。
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カトリック白石教会
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車中泊で宮城県の村田町と白石市を歩いて、白石市で立ち寄ったカトリック白石教会は、こういうところ。

カトリック白石教会

白石市への布教は、1937年当時大河原教会の主任司祭ラローズ神父が白石町(当時は町)の民家の一部屋を借りて布教を始め、白石市への信仰の種を蒔かれました。
第2次世界大戦中は、布教は中断していましたが、1945年終戦と共に、当時大河原教会主任司祭タヴィオ神父が白石への布教を再開されました。1950年12月白石教会が建立され、守護の聖人として「大天使聖ミカエル」に奉献されました。当初は大河原教会の巡回教会でしたが、1952年12月に独立した教会となりました。

白石市自体は歴史のある地方都市なわけだけど、カトリックの布教は意外と新しい。
しかも教会(堂?)の建立が戦後の昭和25年なんだからね、地道な活動ではあるけど思ったほど信者が集まらなかったのだろうなあ。
ここら辺の異様に信者が集まる地方都市とそうでない都市との違いはいったい何なのだろう。
とか余計なことばかり考えてしまう。

そんな小さなカトリック白石教会
外壁の亀裂は大震災で出来たのかも。
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とても落ち着いた感じの教会内部。
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会衆席の後ろの方に畳が三畳分。
たぶん子供を遊ばせておくスペースなのではないかなと想像。
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壁にはキリストの受難の絵(版画?)が掛けられていて、これがなかなか味わい深い。
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好きな場所に腰掛けて、ただ静寂に耳を澄ませたり、沈思黙考したり、そういうことが出来る装置として、宗教施設はとても重要だと思うのだけど、日本ではどうしてかそれがカトリック教会に偏っているように感じられてならないのであった。
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ガーディナーが設計した、日本聖公会日光真光教会
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栃木県にはあまり古い教会がなくて寂しいのだけど、世界遺産日光にはこの教会があるじゃないか!
ということで久しぶりに訪れてみると、驚くことに門もドアも開いている。
どうして驚いたかというと、僕はかれこれ数十回、日光を訪れているのだけど、この日光真光教会の門が開いていたことが一度たりともなかったわけで、だからずっとここは非公開なんだと諦めていてまあカトリック以外のキリスト教会は割と閉鎖的だから(というかカトリックがオープン過ぎ)、これまで指をくわえて眺めるだけだった教会に初めて参拝できる!というのだから、そりゃ興奮を抑えきれなくてもしょうがない。

細かなデータはここで。
データ・シート(日本聖公会/礼拝堂)1

いつも助かっておりますm(__)m

外観その2
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外観その3
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礼拝堂内部
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ステンドグラスいろいろ
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ライオンさんアップ
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ここでちょっとよそで見かけない配置に気づく。それが下の写真。
会衆席と奥陣の間に木製の列柱があって、それはいいとして、列柱の奥(一般的に祭壇に相当する区画)に長椅子が向かい合って置いてある。
これは、修道院付きの礼拝堂でよく見かけるやつなのではないか?
つまりここには一般信者ではなく聖職者が聖歌隊が陣取るはずで、個人的にこの規模(小規模という意味)の教会で、こういう配置を見るのは初めてだと思うのだけど、まさか今まで見逃していた?
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いずれにしても僕が日本でこの配置を認識したのはこれが初めてで、それがカトリック教会でなかったというのがとても意外。

そして日光をこよなく愛した建築家のガーディナーは、この教会の地下で眠っているのです。
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日本に素晴らしい西洋建築を幾つも建ててくれたガーディナーに心から感謝します。
 
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会津若松 旧有栖川宮別邸
スマートフォンからの投稿テスト

雪が降りしきる中、会津地方に行ってきた。







こんな積雪でもオープンしている豪雪地帯の公共機関は、いったどれだけ積もったら臨時休業にするのだろう。
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東海道を少しだけ3(美少女の美術史展とカトリック清水教会)
もはや東海道とはまったく関係ない、関係ない内容なのだけど、同じ旅行で巡ったところなのでタイトルもこのままにしておこう。
というかブログのタイトルって難しいですよね、あとメールの件名考えるのもとっても苦手で億劫なので、個人的にはSNSの流行は大変に有り難いのです。
 
さて、実は僕が静岡県を訪れた最大の目的は掛川城でも東海道の宿場町でもなく、この美術展に行きたかったから。
青森・静岡を巡回して、来週からの島根が最後の開催地。

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公開エリアの展示物

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いやこういうのが観たくてはるばる静岡まで行ったわけではなくて、明治〜大正〜昭和と、どういう風に「美少女」というジャンルが確立したのかが知りたかったのだけどさ。
というか「子供の誕生」と根は同じなんじゃないかと僕は考えていて、美少女というか「少女(および少年)」という概念そのものが歴史的には実はたぶん新しい。

「<子供>の誕生」〜アンシァン・レジーム期の子供と家族生活
フィリップ・アリエス著(みすず書房)

以下はウィキペディアからの引用(強調部分は僕)

「近代的な学校教育制度が現れたのは、17世紀のことである。当時の教育者たちは、古代には存在した学校教育を倣い、「純真無垢」を理念とした。「純真無垢」とは何か。子供と大人を引き離すこと、特に子供にとってセックスを禁忌にすることだった。また、子供として保護される期間の延長も提唱した。この時期から、美術も子供をテーマにし始めた、それ以前は美術が子供をテーマにすることはなかった、と述べる」


こんなことを検証するためだったわけだけど、結果、やはり江戸時代には「美少女を描く」という概念は希薄であった、というのが僕の感想。逆に、江戸時代の美術品から「美少女」(と解釈できるもの)を探し出すのは大変な作業だったろうなあ、学芸員ってすごいよなあと、変なところに感心してしまった。

で、日本における「美少女=少女」の誕生については国策である銃後の守りとしての「良妻賢母」を量産するために少女雑誌が利用された結果、というのが(たぶん)定説だと思うのだけど、そこら辺の経緯が詳細に記された資料を見つけたので貼り付けておく(PDFで全45ページ)。

「少女雑誌にみる近代少女像の変遷:『少女の友』分析から」
今田 絵里香 北海道大学大学院教育学研究科紀要, 82: 121-164

ネットはこういう労作をササッと検索して読むことが出来るから本当に素晴らしい。

あと個人的には「美少女」と銘打っていながらどうして「美少女戦士セーラームーン」に一言も言及がなかったのかがとても不思議。
あれはかなり重要な作品であり出来事であったと思うのだけどなあ。

さて、図録も買って満足した僕は、静岡県最後の目的地、カトリック清水教会へ。

カトリック清水教会HP>カトリック清水教会のあゆみ(1)
http://www.shimizu-catholic.jp/ayumi1.html

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カトリック清水教会は昭和10年完成の典型的ゴシック建築。
まるで地方都市に近年乱立する結婚式場のようだけど、それはつまり多くの結婚式場がゴシック様式の教会堂を模倣しているってこと。
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教会内部
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バラ窓があるー
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バラ窓ではあるけどステンドグラスではないので、しょぼいコンデジでは色が飛んでしまう。
だからせっかくの聖母子像近影もUFO船内のように…
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そして少ししてから気づいてびっくりしたのだけど、ここカトリック清水教会も床が畳張りであった。
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参考画像(カトリック鶴岡教会 明治36年完成)
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鶴岡教会は明治だし東北だしーと勝手に納得していたのだけど、東京に近く昭和になっても畳張りの教会があったという、この個人的衝撃。
ネットでググれば「日本のキリスト教会における床の変遷」なんてテーマで研究している学者さんを見つけられるだろうか?

以上、一泊一日、静岡県の旅。
短い訪問だったため多くの名所旧跡を泣く泣く素通りし、近代建築の宝庫、静岡市中心街にも立ち寄れず、何よりもこんなに近くで、しかも天候に恵まれたというのにどうしたわけか富士山を拝めず。
まさか…近すぎて(巨大すぎて)見られないなんてことはないよね。

 
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東海道を少しだけ2(掛川〜藤枝、旅籠編)
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今回のブログのテーマはずはりこの写真。
弥次さん喜多さんがくつろぐこの空間は個室なのか大部屋の一角なのかという問題。

単なる歴史ファンとして、色々調べてるつもりなのだけど未だに分からないことがいくつもあって、例えばその一つが「江戸時代の旅籠って結局どんな感じだっただろう?」ということ。

というのも江戸時代には本陣・脇本陣・大旅籠・中旅籠・小旅籠・木賃宿というものがあって、本陣は大名格、脇本陣はその家来たち、というところまでは間違いないと思うのだけど、大旅籠には武士や公家しか泊まれなかったとか、庶民が泊まれても大部屋雑魚寝で個室はなかったとか、水戸黄門御一行は、実際には副将軍でも商人を偽っているわけで、その水戸黄門が風呂もない、畳も敷いてない大部屋に助さん格さんと一緒に寝転んでいただなんて、いくらフィクションと言えどもなんか納得できない。

だらだらと文章で書いたのでは余計に混乱してしまうので整理して箇条書きにしよう!

本陣・・・大名
脇本陣・・大名の家来
大旅籠・・一階は武士・公家/二階は武士・庶民(二階に個室無しの文献と個室ありの文献)
中旅籠・・大旅籠と小旅籠の中間(としか言いようがない)
小旅籠・・庶民(個室無し、更に旅籠によっては板床にムシロ)
木賃宿・・食事・風呂無し(個室無し)

ちなみに江戸時代の旅籠には温泉は引かれていなかったので、大浴場もなく全てが五右衛門風呂であったらしい。

以上の情報を元に冒頭の写真を改めて見ると「ここは大旅籠の二階の大部屋の隅の一角である」という推察がたぶん正解、のはず。

真実はいったいどこにあるのだろう。

というわけで掛川城のあとに訪れたのは同じ掛川市にある日坂宿。
ここには2件の旅籠が現存している。

一軒目は川坂屋。
記録には記されていないが脇本陣格の宿泊施設であったと思われるとのこと。
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この2階の格子戸は、下を通る大名行列や武士を直接見下ろせなくするためで、うっかり武士と目があると刃傷騒ぎになってしまうからだとガイドさんが教えてくれたのだけど、では下の旅籠、同じ日坂宿の萬屋の開放的な2階はいったい何なんだ?と疑問がどんどん湧いてくる。

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ふたたび川坂屋に戻って2階の通りに面した欄干にある松竹梅の透かし彫り。
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その部分を街道から見上げるとこんな感じ。まさか透かしになってるとは思わない。
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こういう細かな装飾が脇本陣格であっただろうと推察される理由の一つで、そもそもが床の間付きの上段の間があるから普通の旅籠ではないってことらしいけど。


ついでに川坂屋と萬屋の玄関部分の比較

川坂屋

萬屋
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これは確かに格が違う。

下は萬屋の2階へ上がる階段。保存状態が良くないみたいで残念ながら2階へは上がれず。
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ついでに萬屋近くの問屋「藤文」の水回り。
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古い建物の水回りを撮るのはもう単なる個人的な趣味であります。

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掛川市を後にして今度は藤枝市、岡部宿の大旅籠、柏屋へ。
ちなみに「かしばや」と読むのだそうだ。

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いきなり弥次さん喜多さんがお出迎え。
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この2人は2階にもいた!(これが冒頭の写真)
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それにしても柏屋は大旅籠だけあって確かにでかい。
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そしてここは「みせおく」、奥にあるのが上段の間。
一階はこんな感じなので、大旅籠でも一階はやっぱり位の高い武士や公家のための空間。

そして二階は途端にこんな雰囲気になる。
時代劇でよく見かけるのと似ている(ただし大部屋)
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僕はここでも日坂宿と同じ説明を受けたわけです。つまり大旅籠の一階は武士・公家のため。二階は庶民が泊まれたが個室はなかった、と。

真実はいったいどこにあるのだろう(振り出しに戻った気分)
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東海道を少しだけ1(掛川編)
どうしても観に行きたい展覧会が静岡市であって、そもそもが青森・静岡・島根にしか巡回しない展覧会で、あまりにも遠い青森市での会期は泣く泣く見送り、しかし行きたい欲求はどうしても抑えきれずに、言い訳のように慌てて探した静岡行きの理由、
「そうだ!本格的な木造再建の天守閣を観に行こう!」
ということで今年最後の車中泊は「道の駅掛川

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ここの最大の特徴は24時間営業のコンビニが併設されている点で、おかげで僕は車中泊で初めて温かい朝食がいただけた。
あと駐車場が分散して配置されているので、早めに宿営地を決めないで、少し歩いてみるといいかも(ちなみに僕はかなり施設の近くに停めてしまった)

四方八方から見られているようで夜は落ち着かない休憩所
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早朝からのまち歩きを兼ねようとすると、手頃なところに無料駐車場のないので、駅周辺の500円パーキングに車を停め、そこから掛川城を目指す。

いつもの如くまずはお稲荷さんに参拝。前足のしなりが色っぽい。
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掛川城遠望。
右手前にあるのは太鼓櫓で、一応江戸時代の建造物なのだけど、一般公開もしてないし公式サイトでも触れられていないという不思議な建物。
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そしてよく見かけるアングルの掛川城天守閣
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掛川城天守閣は小さい部類の天守だけど、飾りや構造が複雑で、間近にしてもあまり小ささを感じない。

左側から
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右側から。ね、割と大きな天守に見えませんか?
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本格木造再建だから内部も木材がふんだんに。
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補強のために現代の金具を使ってはいるけど、すごい梁の構造。

そして掛川城には全国で4つしかない城郭御殿がある。写真の右のがそれ。
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ちなみにその4ヶ所とは二条城・川越城・高知城、そして掛川城。
図らずも今回の旅で3ヶ所の御殿に訪れたことになるわけで、残すは高知城のみなのだけど、天守と御殿の両方が残っている高知城ってすげー!と改めて思い知らされましたね(そして早く行きたい)

個人的お約束アングル
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他に見学者がいないのをいいことに猫の視線で(つまり這いつくばって)写真を撮る。
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掛川市でもう一つ楽しみにしていたのがここ。
二宮尊徳運動で有名な大日本報徳社、まずは昭和2年建造の報徳図書館。
内部は一般公開してないようだけど、入ってみたかったなあ。
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続いて国の重要文化財、大講堂。
ここは内部も見学できるのでとてもとても楽しみにしていたのだけど、なんと貸し切りのセミナーが行われていて見学不可!
そんな殺生なあ!
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あまりの悔しさに立ち尽くしていると、職員と思われる方が入り口を少しだけ開けて中を覗かせてくれた(あがとう!)

大講堂の2階部分。ああ、ここから演台を見下ろしたかったあ

気を取り直して掛川駅まで急ぐ。まだまだ旅は始まったばかり。

再開発予定地のため全館閉店の駅近くのテナントビル。
時計台が火の見櫓のようで美しい。
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テナントビル全景。割といい。まるで南フランスのようだ(適当すぎる感想)

裏側。ますますいい。間違いなく南フランス風だ。

掛川市の北口は、このテナントビルを含む一帯が再開発のために整備中とのことなのだけど、失礼ながら「事業が止まってない?」って印象が拭えなくて、帰宅後ググってみたら案の定計画は紆余曲折していた。

掛川市HOME>市政情報>市の計画>中心市街地の活性化>


地方都市が抱える問題は色々で、同時にどこも似ている。
「似ている問題」が多いってことは、これは日本が構造的に抱えている問題であって、もしかしたら地方都市は全国的に共通する問題は放っておいて、その都市固有の問題に取り組んだ方がいいのではないか?なんてことをふと思った。
しかしその「地域固有の問題」ってやつが意外と難しいんだけどね。

(宿場編に続く)

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2年目の「夜の日光江戸村」
昨年(2013年)の10月に二夜だけ開催された日光江戸村「夜の江戸」に行ったとき、これは翌年パワーアップして再度開催されるだろうなという予感が見事に的中し、「夜の江戸」は今年も開催されることになった。
昨年書いたブログ
まさか2年続けて行くことになるとは思わなかったのだけど、よりによっての台風接近。
ふつうなら「去年も行ったし〜」ということで中止にするところなのだけど、今回同行した友人がカメラ小僧だったので「豪雨でなきゃいいじゃん」ってことでの雨天決行。
カメラ小僧…すごい。

ちなみにこれが去年の様子。


良い感じの賑わい。
それが雨だとどんな感じになるのか?
写真を撮りながら思ったのだけど、日光江戸村の関係者の皆さまには申し訳ないけど、今回とても貴重な体験が出来たと思うのです。
というか、雨だとこんなにも情感あふれる風景に自分が入り込めるのだから、「雨でも楽しめる工夫」を凝らせばもっと面白いかなーとも思ったり。

ということでやや強い雨の日の「夜の江戸」
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…人影がなーい。
そしてゲストよりもスタッフの方が多い(というか目立つ)不思議な状況に。
(ちなみにここではスタッフのことを江戸人と呼ぶ)
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しかしこの状況が、何とも言えない不思議な空間を作り出したわけで、自分だけが洋服を着て西洋雨傘を差しているわけで、上の写真なんか「実は先日、江戸時代にタイムスリップしちゃってさあ、あははっ」とか写真を見せながら言ったら騙せてしまうのではないかというくらいのリアリティ(まさか!)
 
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どうです。見事なくらいに人気がないでしょう!(実はそういうタイミングを図って撮ったw)
実際は、やや強い雨の日としては、それなりに客もいたのではないかなあと。
あと去年も感じたけどこの日も女性グループ多かったですね。
若い女性が日光江戸村の何にに引き寄せられるのかが解明できれば我がまち足利市にも…

最後は和気藹々とする江戸人たち。
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見ようによっては悪だくみをしているようにも見える(笑)

しかしこれでいいのだと僕は思う。
日光江戸村の不思議なリアリティとは、彼等江戸人が、普通に仲間達と話をし、申し送りや伝言などもゲストの目を気にすることなく行っていることから生じる、一種の混沌が関係してるのではないかと。
つまり、こういうシーンなどがまさに猥雑で活気に満ちた江戸の町の再現に一役買っているのだと、僕には思えてならないのです。

今年(2014)の開催は終わってしまったけど、きっと来年も開催されるんじゃないかな。
まだ未体験な方は来年こそ、ぜひ!
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埼玉のムーミン谷
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埼玉のムーミン谷こと飯能市あけぼの子どもの森公園に行ってきた。

飯能市のウェブサイト>各課の窓口>あけぼの子どもの森公園>施設案内
あけぼの子どもの森公園

個人的なムーミン体験は今でもDVD化されていない69年もしくは72年テレビ放映のアニメ「ムーミン」であり、大人になるまで僕はトーベ・ヤンソン原作のムーミンの姿を全く知らなかったのである。
だから実は、オリジナルのムーミン(や他のキャラクター)の姿を初めて見たとき僕は激しい違和感を抱き、アニメ版の方がいいとさえ感じた。
オリジナルのムーミンに慣れ親しんできた世代には信じられない話かもしれないけど。

しかし不思議なもので、アニメ版ムーミンを見る機会が失われて、オリジナルのムーミンに触れる機会が増すに従って、これでいい、これがいいと思えてきたのだから(対象によるけど)幼少期の認知なんて容易くすり替えられるのだなあと変なところで感心する。

さて、そんな経緯でとにかくムーミンに関しては常に気になっていて、昨年がトーベ・ヤンソン生誕100周年で展覧会やイベントも色々開催されて、そういう中で埼玉県にムーミン谷を再現した公園があるらしいとネットで知り、たぶんこの機会に訪れなければ永遠に行くことはないのではないか?ということで、今回具体的な場所の特定が出来たので行ってきたわけです。
いやあ、行って良かった。

ということで、あけぼの子どもの森公園の全体像。
そんなに広いわけではない。広いわけではないけどコンパクトにまとまっていて、歩き疲れないし、ほどほどに起伏に富んでいて飽きることがない。
 


まずはムーミン屋敷。
 
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屋根の緑は本物の草で、伸び放題になっているのがリアルでいい。
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施設建物の外観も相当凝っているのだけど内装も負けていない。
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本当に使っているかのようにエイジング処理を施した暖炉。
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下の写真の窓とか、ガラス窓と板窓(雨戸?)が同じ形。
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ムーミン屋敷は地下一階、地上三階建てで上に行くに従って階段が狭くなる。
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子どもは狭い空間に素早く入り込み、大人を追い抜きどんどん上へと登っていく。
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ミニチュアの家具
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子どもの冒険心をかき立てる仕掛けがあちこちに。
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ここは一畳くらいの小部屋。
こういう隠れ家のような秘密基地のような空間が至る所にある。
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外観にも細かな装飾が。
上部が切れてしまったけど上の人物はラッパを吹いているわけですね。
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ニョロニョロのベンチ。
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イベントホームとムーミン屋敷。
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資料館。
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資料館の二階は図書室になっていて、こんな素敵な読書コーナーが。
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図書室にはトーベ・ヤンソン関連の書籍がいっぱい。
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個人的にはムーミンの世界観と言ったらこれ。
水遊び小屋。
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水遊び小屋からムーミン谷を望む。
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最後は、イベントホールのテラスにあったレリーフ。
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お化け(?)が「ここに登っちゃけいないよ」と呼びかけている。
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どこまでも遊び心に満ちている埼玉のムーミン谷。

今回は、中年男一人で行ったら事案発生ではないかと危惧して娘を連れ出して(とは言っても娘も二十代)行ったのだけど、行って見たら大人だけのグループが何組もいて、まさにおっさん一人で一眼レフで写真を撮りまくってる人もいたりで、もちろん本来は子どものための公園施設ではあるのだけど、大人が行っても十分に楽しめる場所だった。

ちなみにあけぼの子どもの森公園は最寄りのインター(圏央道狭山日高)からおよそ30分。
駐車場もそこそこ広くて、公園の入り口にムーミングッズやお菓子・ソフトクリームなどを販売する売店があって(何故かカップラーメンも並んでいた)、手ぶらで行ってもとりあえずは何とかなると思います。
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山形の旅3(加茂水族館〜銀山温泉編)
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鶴岡市内を歩いた後はクラゲで有名な加茂水族館へ。

加茂水族館とはこういうところ。
落ちこぼれ水族館が「クラゲで世界一」に変わるまで 
加茂水族館の名物館長が振り返る「波乱万丈半生記」

(ダイヤモンド・オンライン)

公式サイト
加茂水族館

それにしても山形県って海があるんだよね、分かっていたはずなのに鶴岡市街地から30分くらいで海に着いてしまって僕は大変に驚きましたよ。

日本海
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加茂水族館は今年の6月に新館が完成しリニューアルオープンしたばかり。
古い方の加茂水族館
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昭和なデザインがたまらない。
でもいずれ壊されるんだろうな(海に面したこの位置に保存しておくのはいくらなんでも不合理だし)

トイレだけは使えるのでまでここまでは入れる(旧館)
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肝心のクラゲの写真があまりよく撮れなかったので2枚だけ。
というかその2枚もどうなのよ?って腕前ですが(´д`)
 
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旧館にあった入館者推移グラフ
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加茂水族館の復活がいかに驚異的であったのかが一目瞭然。
今回ブログを書くに当たって加茂水族館の公式サイトを改めて見に行った訳なのだけど、リニューアルオープン後の4ヶ月で早くも入館者数50万人を突破だそうで、いやあ、すごいなあ。

実は、僕は水族館が大好きで、加茂水族館でもしっかりアシカのショーを見学したのだけど、この日のメインイベントは鶴岡市街地散策と夜の銀山温泉街散策。たった2泊2日の行程の中で、泣く泣く訪問を諦めた場所は数知れず、実は加茂水族館も、最大の目的は時間調整のため。
で、何の時間調整かというと、銀山温泉に夕刻到着するためなのであった。
ということで実は滞在時間1時間くらいという、物足りなさが最大の思い出というとても残念な加茂水族館なのでして。
(それでブログの扱いも短いわけです)

さて、そういう理由で加茂水族館から銀山温泉へ。と、書くと簡単みたいだけど、加茂水族館から銀山温泉って山形県の端から端まで横断するに等しいわけで、これが車で約2時間。いたく不合理にも感じられるけど、通ったのが「奥の細道最上川ライン」というところで、やけに風光明媚で信号も少なくて、単なる「移動」にならなかったのはとてもラッキーであった。

そしておよそ2時間車を走らせ、道幅はどんどん狭くなって、銀山温泉に近づいているはずなのに対向車が全くない、という不安な時間を体験した後、唐突に銀山温泉街の入り口に到着。
事前に調べておいたからよかったけど、銀山温泉街に一般車両が乗り入れることは出来なくて、宿泊客は温泉街手前の駐車場に止めて、旅館が用意したマイクロバス等で行き来をするという、群馬の草津温泉や伊香保温泉などでも見られる形態。
ちなみに僕のような散策目的や日帰り入浴の人のための無料駐車場が温泉街入り口にある(ただし割と歩く)

そうしてたどり着いた銀山温泉
銀山温泉 公式サイト
 
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こ、これはまさに大正浪漫の世界!
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上の写真の右側に袴姿の女性が写っているが、温泉街には貸衣装屋もある。

それにしてもすごい。街灯はガス灯だし、21世紀の日本にこんなところが残っていたなんて、白川郷クラスの貴重さではないだろうか。
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錦絵の壁画
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ここは新しい建物。だけど全体の調和を乱すことなく、それでいて独自性と高級感がしっかりと伝わってくる。
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なんというか、いちいちコメント挟むのも野暮なくらいの情感なので、あとは写真のみで、今回の記事は終わりにします。
ちなみに今回は散策だけで宿泊はしなかった(出来なかった)わけだけど、浴衣姿でブラブラしている宿泊客らが羨ましくて羨ましくて敗北感に打ちひしがれていたことをここに白状しておく(いつか泊まりたい!)

次回は山形の旅、最終回(教育都市山形市編)です。
 
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