「カウンセリング」再定義08
 <メモ>

前回まで僕は、産業カウンセラーと臨床心理士では、同じ「日本語におけるカウンセリング」に従事しているとは言っても、いかに活動内容や従事している場所が異なるかについて検証してきた。
もう一度、産業カウンセラーと臨床心理士が決定的に異なると考えられる違いを書き出してみる。

産業カウンセラーとして、[(1)臨床家+a.コ・メディカル]な者は極めて少数派で、
臨床家としての産業カウンセラーの多くは、企業の相談室などで[d.業務の一環として]活動している。

また、多くの産業カウンセラーは、臨床家としての活動は不明であるが、企業などに属して[(3)普及啓蒙]活動に従事している。

しかし、もっとも産業カウンセラー全体で、もっとも多いのは、[e.生活全般]において、[(4)日常的活用]をしている有資格者であるが、実に39%の有資格者は、産業カウンセラーの資格も技能もまったく活用していない。
(設問9[「資格」取得により培ったスキルの活用の程度])

ここで問題となり得るのが最後の文節にある、カウンセリングスキルを「生活全般において日常的活用」するという箇所ではないだろうか?
しかし多くの産業カウンセラーの実像は、きわめてこの状態にあると考えられる。
「生活全般において日常的活用」をするとはどういうことなのか?
この行動や心がけを「カウンセリング・マインドの発揮」と今は呼ぶことにする。

このカウンセリング・マインドへの期待は、以下の統計からも明かである。

「産業カウンセラー等の実態調査 2009.12」設問4は「資格取得時の動機(3MA)」であるが、
・カウンセラーの仕事がしたかった(26.6%)
に対して、
・カウンセリングなどを勉強したかった(46.3%)
・自分自身の生きがい、ライフワークとして(19.7%)
・身近な人の援助の必要性に迫られて(6.3%)
等、多くの人が「カウンセラーとしての面談」ではなく、個人的な意欲や事情を取得動機としている。

また
・自分自身が抱える心の問題を解決したかったから(17.7%)
と、セルフ・カウンセリング能力の獲得を望む者も少なくない。

このことからも「産業カウンセラー」という資格および産業カウンセラー「養成講座」は、カウンセリング・マインド獲得のための手段としてかなり期待されており、協会もこういう需要があることを充分承知しているのではないかと想像できる。

ただし、
・業務上必要だと勧められて(8.9%)
・勤務先でも自分の職域を広げたかったから(25.9%)
など、現職場で、業務の一環として取得を目指す者が多い点こそが、産業カウンセラーの一番の特徴であろうが。
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「カウンセリング」再定義07
<メモ>

前回の結果から、産業カウンセラーの実体像を僕なりに描いてみたい。

<基本となる業務>
(1)臨床家 27.8%
(2)研究者 (該当設問なし)
(3)普及啓蒙(講師等) 34.3%
(4)日常活用 76.2%

<主に従事している場所>
a.コ・メディカル 4.1%
b.研究機関 7.1%
c.開業 2.6%
d.業務の一環として 21.6%
e.生活全般 29.7%


産業カウンセラーとして、[(1)臨床家+a.コ・メディカル]な者は極めて少数派で、
臨床家としての産業カウンセラーの多くは、企業の相談室などで[d.業務の一環として]活動している。

また、多くの産業カウンセラーは、臨床家としての活動は不明であるが、企業などに属して[(3)普及啓蒙]活動に従事している。

しかし、もっとも産業カウンセラー全体で、もっとも多いのは、[e.生活全般]において、[(4)日常的活用]をしている有資格者であるが、実に39%の有資格者は、産業カウンセラーの資格も技能もまったく活用していない。
(設問9[「資格」取得により培ったスキルの活用の程度])

臨床心理士に関しては手元に実態調査の資料がなく比較はできないが、想像するに、最後の「生活全般に於いて日常的活用」を行っている臨床心理士はきわめて少ないのではないかと感じられる。
もしこの想像に妥当性があるならば、当初の仮定どおり、臨床心理士と産業カウンセラーは、同じ「日本語におけるカウンセリング」に従事しているが、その内容は明白に区別できると考えられる。

このように推論できるのに、なにゆえ「臨床心理士VS産業カウンセラー」という論議や言い合いが生じてしまうのか?
それはまさに「日本語におけるカウンセリング」がきちんと定義されていないからに他ならない。

僕は「カウンセリング」が輸入されたとき「心理療法」と翻訳され社会に認知されていたらどうなっていただろうと、かつて書いた。
[カウンセリング再定義 2010.2.14]

しかし過去には戻れない。
戻れないのだから僕たちは今から、「日本語におけるカウンセリング」を定義し直す必要があるのではないだろうか?
しかし厳密には「再定義」ではない。
たぶん初めての取り組みになるのだと思う。
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「カウンセリング」再定義06
<メモ>
 
先日つくった分類表を、今度は「産業カウンセラー」に当てはめてみる。

分類1(基本となる業務)
 (1)臨床家
 (2)研究者
 (3)普及啓蒙(講師等)
 (4)日常活用
 (5)教育者(追加)

分類2(従事するシーン)
 a.コ・メディカル
 b.研究機関
 c.開業
 d.業務の一環として
 e.生活全般

産業カウンセラーに関しては、幸いなことに手元に最新データがある。
「産業カウンセラー等の実態調査(日本産業カウンセラー協会 2009.12)」
 調査用紙送付先: 34,063人
 有効回答者数: 14,776人
 有効回答者率:    43.4%
 調査期間:2009.6.15〜2009.7.31

さて、この統計資料に基づいて、各項目に数字を入れてみよう。
(注)もちろん、協会の統計資料にこのような分類はなく、僕が原始データを元に独自に算出したものであって、単なる一個人の「こねくり回し」であることはいうまでもない。
例えば[(1)臨床家]の算出方法は、有効回答者数14,776人に対して、調査票質問13「活動の内容」で、「メンタルヘルスの個人面談」を選択した総数(4115件)で割り出している。
ただしこの設問は(5MA)であるから、どの程度業務が重なっているのは判別しようがない。
その程度の、限りなく低い精度の分析と承知して下さい。

(1)臨床家 27.8%
(2)研究者 (該当設問なし)
(3)普及啓蒙(講師等) 34.3%
(4)日常活用 76.2%

ただ、臨床心理士との決定的違いと思えるのは[(4)日常活用]が極端に多い点で、この設問が設けられたこと自体に、産業カウンセラーとして何が期待され、何を期待しているかが伺える。
次ぎに従事している場所について。

a.コ・メディカル 4.1%
b.研究機関 7.1%
c.開業 2.6%
d.業務の一環として 21.6%
e.生活全般 29.7%

[a.コ・メディカル]は設問が[病院等・・・]だったため、可能性としては看護師が相当数含まれていると考えられる。
[b.研究機関]は設問が「学校等の教育機関」なので、大学等で従事する割合は更に小さくなると考えられる。

しかしここで特筆すべきは[d.業務の一環]の大きさである。
これらの元になった設問は[一般企業の相談室][外部EAP][自治体などの相談室][公益法人の相談室][協会の相談室]で活動していると回答のあった総数から割り出した。
また、分類1同様に[e.生活全般]の比重がとても高い。

次回、この2つの分類を元に独自の産業カウンセラーの実体像を描き出してみようと思う。
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「カウンセリング」再定義05
 <メモ>

先日の棲み分け分類がちゃんと使えるか考えてみる。

臨床心理士の場合

■コ・メディカルとして、病院などで精神疾患者の治療に当たっているもの

 (1)臨床家 + a.コ・メディカル

  更に研究活動(論文発表)を行っている場合

    (1)臨床家 + (2)研究者 + a.コ・メディカル

■開業している臨床心理士

 (1)臨床家 + c.開業

彼の場合も、研究活動もしていれば[(2)研究者]がここに加わり、自治体やカルチャーセンターで講師をすることがあれば[(3)普及啓蒙]が加わる。

■スクールカウンセラー

 (1)臨床家 + d.業務の一環

この場合も学会などで頻繁に研究発表を行っているなら[(2)研究者]を加えられるだろう。

■大学教員でもっぱら教育や指導のみに従事

と・・・このケースを書こうと考えて、分類項目が不足していることに気づく。
[分類1]に、[(5)教育者]を追加(No,は後で入替を検討)

また、新たな悩みとして大学(大学院)を一律[研究機関]と括ってしまったいいのかということ。
[大学=教育機関][大学院=研究機関]とするのも何だか無理矢理感があるし、大学を教育機関とするなら高等学校、小中学校はどうすればいいのか?

ということで、まだまだ不完全であることを認めた上で、しかしこの分類法によって、臨床心理士の活動のバリエーションが実に多彩であることが見えてきたと思う。

この他、臨床心理士には「臨床をしていない臨床心理士」もいる。
とにかく、生計が成り立つかどうかを無視すれば、臨床心理士の守備範囲は広大であると言えよう。

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「カウンセリング」再定義04
 <メモ>

これまでのメモから考えられる、カウンセラーの棲み分け案

分類1(基本となる業務)

(1)臨床家
(2)研究者
(3)普及啓蒙(講師等)
(4)日常活用

一人が一分類のみに属するのではなく、複合的な属し方が可能。
(1)臨床家、かつ(3)普及啓蒙
(1)臨床家、かつ(2)研究者、かつ(3)普及啓蒙
など。

分類2(従事するシーン)

a.コ・メディカル
b.研究機関
c.開業
d.業務の一環として
e.生活全般

棲み分け2は兼務することは不可。
ただし棲み分け案1とクロスする。
シンプルな例として
(2)研究者+b.研究機関
など。
大学で指導をしているなら、
(1)臨床家、かつ(2)研究者、かつ(3)普及啓蒙+b.研究機関である。

(4)とe.は、資格取得後特段な活動をしていない人を想定したもの。
(例としては産業カウンセラーの資格を持っているがカウンセリング経験がないなど)
なので彼らは(4)+e.となる。

「(3)普及啓蒙」に関しては、もう少し練り直す必要有り。
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「カウンセリング」再定義03

<メモ>

日本産業カウンセラー協会では数年に一度の割合で全会員対象のアンケートを実施している。
前回は昨年実施されたので次回は当分先だが、ぜひ項目に入れてほしいのは以下の設問。

「あなたは産業カウンセラーとして、精神科病院で、統合失調症患者のカウンセリングを行う専従業務に従事したいか?(または「できると思うか?」)」

ほぼ無法状態と化している「日本語におけるカウンセリング」を整理するためにまず、3万人を超える有資格者を擁する日本産業カウンセラー協会みずからが、カウンセリングの定義を再検討すべきではないだろうか?
再検討とは「明確なる守備範囲」を示すことである。
つまりもう「産業に関わる人全てが対象」などと言う曖昧な定義付けはやめにしないかという提案でもある。

と、ここまで書けば自ずと察せられることであろうが、僕の言う「再定義」とはすなわち「棲み分けの試み」に他ならない。

このメモは、
「日本語におけるカウンセリング」を
新たに定義しようという試みの一部です。

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「カウンセリング」再定義02
 <メモ>

もう一つ、「日本語におけるカウンセリング」を再定義するうえでの
重要な要素があった。

カウンセラーは「臨床」に徹するべきという考え方と、
「メンタル・ヘルス」などで、
市民生活へのカウンセリング・マインド普及が大切という考え方。

もう一つが、
カウンセラーは人格も高くあるべきである主張と、
臨床と私生活はまったく関係ないとする主張。

これらの対立の根本は、
ある一つの問いの中に答えがあるのではないかという仮説。
それは、
「カウンセリングはクライアントのためにあるのか、
それとも広く国民の健康的生活のためにあるのか?」
という問い。

さらに、
「カウンセリング・マインドというものは、誰のためにあるのか?」
または、
「カウンセリング・マインドなどというものは、
そもそも存在しない(有意義でない)とするかの?」
などと言い換えることもできる。

特に「カウンセリング・マインド」に関しては、
前提として臨床データが存在するのかどうかが不明。

(「日本産業カウンセラー協会」あたりがデータ取りしているか要確認のこと)

このメモは、
「日本語におけるカウンセリング」を
新たに定義しようという試みの一部です。
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「カウンセリング」再定義
 <メモ>
カウンセリング成立の条件に「クライアントは自己一致していない」というものがある。
(ロジャーズ「人格変容が起こるのに必要にして十分な条件」 1957)
しかし「自己一致していない」とは
なんとなく仕事に納得感が得られないという不一致から
実際に生活に支障を来しているという不一致まで、
とにかく守備範囲が広すぎる。

また、「counseling」という単語が、
ロジャーズの来談者中心療法とともに輸入されたときに、
適切な和訳がなされなかったことも問題を大きくしたと考えられる。

かりに「counseling=心理療法」と訳され、一般化していたらどうだっただろう?
ちまたに「留学心理療法」や「ヘア心理療法」などという形容が広まっていただろうか?

この2点をクリアにしない限り、
「日本語におけるカウンセリング論争は無意味」なのではないだろうか?

たとえば、こういう表現ははどう感じられるだろう。
「産業カウンセラーはカウンセリングを行わない」
この表現は根源的に矛盾しており破綻している。

しかし以下のように表現を変えてみたらどうだろう。
「産業カウンセラーは心理療法を行わない」
個人的にはかなり納得がいくのだが、
他の36000人ほどいる産業カウンセラーはどう感じるのだろう?

ところが現代の日本において、
この2つの問題をクリアにすることはきわめて困難だと考えられる。
クリアさせようとするなら、もっとも簡単な方法は、
法律の力で「カウンセラー・カウンセリング」を
「医師」や「弁護士」のように独占名称とすること。

ただしこれで第一の問題が解決されるわけではない。
「自己の不一致」は常に、新たに、日常の至る所で現れている。
国家資格化することで、では彼らが
セクハラやパワハラ、DVなどの問題を
一手に引き受けられるか?

そもそも「自己の不一致」を抱えている人の中には、
金銭的に余裕のないものも少なくない。

では医療の一部として、保険適用とするのか?
しかしこれ以上、医療費がふくらんでもいいのか?

などと、単なる名称独占によっても事態は何も変わらない。
これは事業独占の場合でも同じである。

つまりは「日本語におけるカウンセリングとは、いつたい何なのか?」という
根源的な問題に立ち戻る。
戻らざるを得ない。

ここでもう一度強調したいのは「日本語における」という箇所である。
本来の意味や定義がどうであろうと、
もはや「カウンセリング」は日本語化しているので、
本来の定義から論議したところですれ違うだけではないか?
というか、よく見かける「臨床心理士VSその他のカウンセラー」の論争は、
ほとんどがこの異なる「カウンセリングの定義」による
言い合いに終始しているように感じられてならない。

スタンスが違うのだからわかり合えるわけがない。
例えるなら仏教論者と宗教論者の対立のようなものだ。

次回は、第一の問題、
カウンセリング成立の条件について考えようと思う。

このメモは、
この「日本語におけるカウンセリング」を
新たに定義しようという試みの一部です。
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