堪え性

何事に関しても趣味趣向は変化するという話。

両親がサービス業だったので僕は、子供の頃から少し放任気味に育てられた。
映画好きになった背景は、当時毎日TV で放映されていた映画の影響。
つまり、小学生が、毎日のように11時近くまで起きていても、怒られることがなかった程度の「放任」という意味なのだが。

まあそれはいいとして、とにかくそれなりに映画好きではあるのだが、最近顕著な選択要素があって、それが以前とは正反対な志向であることに気づいたという話。

以前の僕は、何しろ長い映画が好きだった。
最長はベルイマン監督の「ファニーとアレクサンデル」5時間11分。
上映したのは岩波ホールで、間に一回休憩が入ったくらいの長編だったのだが、僕は飽きもしなかったし疲れもしなかった。

これは極端な例としても、映画は2時間以上あって当たり前、いや、長ければ長い方が良いという考え方をもっていたし、2時間ないと、なんだか物足りなさを感じてもいた。

それが今はどうだろう。
レンタルDVDを選ぶ基準に、本編時間の確認は絶対に欠かせない。
最近の基準は2時間以内であること。
1時間半、90分くらいだと、案外冒険も出来る。
反対に、本編時間があまりに長いがゆえに、レンタルを諦めることも。
当然映画館で観る時も上映時間の確認は重要なのだが、1月に見に行った「アバター」では、うっかり確認を怠り、チケットを買ってから上映時間が2時間42分もあることに知りたじろぐ。
見始めてしまえば時間なんて忘れてしまうくらい面白かったのだけど。

このような変化に一番驚いているのはもちろん自分だけなのだが、この変化は単に堪え性がなくなったととらえればいいだけのことなのか、自分の中で何か変化が起きているのか、まったくもって判断がつかない。

いずれにしろ、この変化で、見ないで終わらせてしまう映画が増えることが、とてももったいなくて悔しいということなのだが。

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日本映画、伝統への回帰
 「日本映画、よき伝統へ回帰」モントリオール映画祭(ashahi.com 2010.03.16)
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201003160103.html



カナダのモントリオール世界映画祭は近年、日本の作品や監督に高い評価を与え続けている。なぜ日本映画は受けるのか。総合ディレクターのセルジュ・ロジーク氏に聞いた。



ロジーク氏は「作品の評価は、審査員の厳格な審査で決まっている。立場上、個々の作品についてコメントはしない」としつつも、日本映画について「現代的なスタイルを見せつつ、日本のよき伝統へ回帰した作品が増えてきたと感じている」と評価する。

自国の映画が海外で評価されるのは素直に嬉しい。
しかも、長らくつまらなかった邦画が「栄光の」伝統へ回帰傾向にあるということは、古い邦画が好きな僕には更に歓迎される変化。
事実、近年はレンタルするDVDも邦画が格段に増えた。
何よりも時代劇のクオリティが向上したことは喜ばしい限り。
不思議なものでTVドラマから時代劇はほぼ消滅したが、逆に映画では年に何本か必ず時代劇が作られている。

理由があるから仕方ないのだが、米国映画から西部劇が消え去ったのとは対照的だ。
(しかし「OK牧場の決闘」みたいに先住民が登場しない映画なら作っても問題ないと思うのだが、それでも日本で公開されるような作品がないのは、米国ではもはや西部劇は流行らないということなのか?)
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米国らしい結果
 【アカデミー賞】作品賞も「ハート・ロッカー」で6部門制覇 「アバター」は完敗(産経ニュース 2010.03.08)
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/
entertainers/100308/tnr1003081407014-n1.htm


 

第82回アカデミー賞の作品賞は、キャスリン・ビグロー監督の「ハート・ロッカー」が受賞した。

 

「ハート・ロッカー」はほかに監督賞、脚本賞、編集賞、録音賞、音響編集賞でも受賞。全6部門でオスカーを獲得した。一騎打ちと見られていたジェームズ・キャメロン監督の「アバター」は撮影賞、美術賞、視覚効果賞と3部門の受賞にとどまり、「ハート・ロッカー」の完勝となった。

なんというか・・・いかにも米国らしい決着で、逆に何か裏があるのではないかと勘ぐりたくなる。

「アバター」は、絵柄を変えてアニメ化したら、そのまま「宮崎アニメ」と言っても通じそうな話。
もののけ姫や千と千尋の神隠しが受け容れられたのは、異国の映画であるから。
自国(米国)で、米国原理主義、キリスト教原理思想をまっ向から否定するような映画を撮っても、話題にはなっても賞賛はされないだろうということは最初から分かっていたことではないのか?

とはいえ、アバターが映画の新しい可能性を切り開いたことは事実。
個人的には3Dは、あまり好きではないのだけどね。

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フラガール追記
 フラガールの舞台は福島県いわき市に実在するスパリゾートハワイアン。
以前は常磐ハワイアンセンターと言った。

僕は幼少の頃、ここに行ったような気がする。
似たようなレジャー施設で船橋ヘルスセンターというものがあり、
こちらにも行ったようなぼんやりとした記憶がある。
(船橋のララボートは、その跡地に立ったことを今初めて知る)

さて、僕が行ったことがあるのはどっちか?
それとも両方に行ったのか?

と、いくら記憶の断片をたぐり寄せても、うんうん考え込んでも、
すでに両親を亡くした僕に、
すっきりする回答を与えてくれる人物はいない。
(兄なら憶えているかなー?)

親がいなくなると言うのは、つまりはこういうこと。
親の記憶(昔話など)を失うだけではなく、
自分自身の幼少期の記憶も失うということなのだと知る。
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フラガール
 TVで「フラガール」を観る。

舞台は炭坑の街。
需要減退による減産で悩んだ会社が、
新規事業として常磐ハワイアンセンターをオープンさせるまでの実話だが、
僕がもっとも切なかったシーンは、
一番最初にダンサーに応募し、一番熱心だった「主人公の友人」が、
父親が炭坑を解雇されたことにより、
家族と一緒に夕張炭坑を目差すというシーン。

夕張炭坑の末路を知らなかったら、違った印象を持ったと思うが、
結果として破綻した夕張市を知っている今となっては、
父親のこの選択は色々と考えさせられる。

人には、様々な転機が訪れる。

例えば・・・仕事を失って開拓地としての北海道を目差した家族もある。
山田洋次監督作品「家族」等

頑なに変わらないことが悪いわけではない。
しかし、転身が常に成功するわけでもない。

物語では、彼女の家族以外にも、
さまざまな転身にまつわるエピソードが語られる。

いずれにしろこの映画のもう一つのテーマは「転身」なのではないか?
成功を収めた「炭鉱会社からリゾート業への転身」物語の
陰に隠れた、それぞれの転身のドラマが、
この映画に単なる成功物語以上のふくらみを持たせていると感じた。

ちなみにラストシーンは、こんな感じの方が好き。

夕張で必死に生きている友人が、
新聞か雑誌の片隅で、
常磐ハワイアンセンターのオープンの記事を読む。
にっこり微笑む友人。

そういうシーンであって欲しかったなあ。
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