言い訳の道具
 何のためのリサイクルかというと、環境保護と国内資源の再利用が目的。

環境保護だけが目的なら、ペットボトル利用を法律で規制し、30年前に戻ったつもりになって、ガラス瓶のリユース方式に切り替えればいい。
(『三丁目の夕日』で描かれる日常生活ですね)
ただ、一度手に入れた利便性はなかなか手放せないし(それは僕も同じ)、衛生問題とかクリアしなければないから実現はかなり難しいと想像される。
だから「石油資源は今まで通り自由に使うけど、決して無駄にはしませんよ」というアピールが、日本のリサイクルの本質ではないかと僕は勘ぐっている。

となると、コストとか矛盾(再利用のために製造コストよりも多くの石油燃料を必要とするなど)などはさておいて、国内で再利用されることが大前提。
しかしてその実態が、

また、市町村が協会に引き渡さずに直接海外などに流出させていることも高騰の原因。20年度の実績量では、市町村が回収した約28万トンのうち、約13万トンが独自ルートに流れた。

であるならば、これはリサイクルではなく単なる「商取引」だ。

大阪府内のリサイクル業者は「システムや制度そのものが未成熟な状況では、業者が割を食うだけで、リサイクルシステムはそのうち壊滅する」と話している。

これはすでに数年前から指摘されていたこと。

いずれにしろ現時点では、ペットボトルのリサイクルとは言っても化学繊維にするか燃料にするくらいしか出来ないわけで、もっと効率の良い再利用法が発明されるまで、一カ所に集めて巨大な穴を掘って埋めて保管しておくという方法が、コストの面からも一番賢明な案に思えてならないのだが、どうして国は検討しないのだろう。
リサイクル幻想」(武田邦彦著 文春文庫 2000.10)

というか、大手企業が自社の将来のために独自に備蓄するという手もある。
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彼女の本気度
三原じゅん子が夢実現、介護施設オープン(ashahi.com 2010.03.03)
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201003030021.html

女優三原じゅん子(45)が東京・三鷹市に念願だった介護施設「だんらんの家 三鷹」をオープンしたことが2日、分かった。三原は「約1年半前から計画していました。まだ、スタートという感じ。まだ、何軒も作っていきます」と語った。

介護保険導入直後は、商機を感じて新規参入する人が多かったが、私見ではあるが、今では「もっとも儲からない業種」の一つである介護業界。
何しろ法律で厳しく規制されているから、勝手に料金上げられないし、余計なサービスも付けられない。
そんな業界に今頃参入する芸能人の本気度は、果たしてどれくらいのものなのだろうと興味を持った。

まだWebサイトはないようで(というかずっと作らない可能性も高いが)詳細は不明なため、独立行政法人福祉医療機構の情報検索サイト、WAM NETで調べてみる。

デイサービス「だんらんの家」三鷹
http://www.wam.go.jp/kaigo/ApplicationServlet?ACTIONTYPE=ViewDetailAction&JIGYOCODE=137
3601788&SERVICECODE=11


確認すると定員10名の小規模施設。
職員は常勤の介護職員が2名、非常勤が1名。
生活相談員は常勤1名、非常勤で1名。
看護師及び機能訓練指導員は0人。

利益率を上げるためにかかせない加算サービスはどうだろう。
http://www.wam.go.jp/wamappl/jigyosha/
13Tokyo/db13houshuu.nsf/vReward/13736
0178811?OpenDocument&1


「だんらんの家」は、加算サービスがまったくない。
・・・これで採算が合うのだろうかと心配になる。
まあ、地方と東京では事情が違うのかもしれないから、こんな心配は余計なお世話である可能性も充分にある。
それに、何しろ事業主が著名人であるわけだから、それだけでも集客力は桁外れだろう。

いずれにしろ、明らかに魂胆が見え見えだった執行猶予中の某芸能人とは、介護に関しては本気度も動機もまったく違うのだというところを見せつけてもらえると、介護事業に関わる者として、とても嬉しいのである。
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ワインの嗜好・・・というほどのものではないが
 チリ大地震でワイン最大手メーカーが生産停止=日本向け供給懸念も(ロイター 2010.03.02)
http://jp.reuters.com/article/domesticEquities4/idJPnTK036685120100302

同国最大のワインメーカー「コンチャ・イ・トロ」は1日、大地震でワイナリーなどが被害を受けたため生産を少なくとも1週間停止すると発表した。

ワイン通ではないがワイン好きの僕は、チリワインを好んで飲む。
そしてよく購入するのが、まさにニュースで取り上げられた「コンチャ・イ・トロ」の赤ワイン。
1本1,000円前後のこのワインが、自分の好みと実に合っているのだ。

チリは世界有数のワイン生産国。かつてはフランスのボルドーなどで生産されていたが疫病でほぼ全滅したカルメネールという珍しいブドウの品種が生き残っていることでも知られる。日本のワイン輸入に占めるチリ産は2009年実績で193万ケース(750ミリリットル瓶12本、9リットル)とフランス(541万ケース)、イタリア(262万ケース)に次いで3位(財務省通関統計)。一時期のワインブーム終息でフランス産が前年比微減だったのに対して、チリ産は前年比30%増と輸入が急増している。

そもそも日本のワインはそのほとんどがブレンドで、ひどい物になるとブドウ汁にアルコールを混ぜたものなども平気で流通しているらしい。
何故なら、日本酒のように厳格な規格がワインにはないから。
大袈裟ではない証拠に以下を引用。

日本ワイナリー協会HPより
http://www.winery.or.jp/ass/expression.html

国産ワインの表記基準

適用範囲・・・・・ ぶどうを原料の全部又は一部としたワインで、日本国内において製造され、日本国内において消費されるワイン。

輸入原料を使用したワインの使用事実の表示・・・・・製造したワインが輸入原料を使用している場合には、使用量の多い順に、「国産○○使用」(○○は果実の名称)、「輸入○○使用」、「国産○○果汁使用」、「輸入○○果汁使用」、「輸入ワイン使用」の用語により、メインラベル、肩ラベル又は裏ラベルに明瞭に表示する

できるなら国内産業に少しでも貢献したいと思うのだが、こんなのが現実なら、輸入ワインの方がまだ信用できるような気がする。

もちろん、国産ぶどう100%使用した良心的なワイナリーも存在するのだが、残念ながら近所のスーパーで気軽に買うことは出来ない。
したがって、僕にとっての国産ぶどう100%使用ワインとは、気合いを入れてネットショッピングするときのベルギービールと同じくらい特別な存在。
逆にテーブルワインとしては、思い立ったときに、近所のスーパーで、気軽に買えることが重要。

今後仮にチリワインが店頭から消え去ったらどうしようか?
ワイン通ではないにしても、やはり自分好みのワインが飲みたい。

少し買いだめが必要かな?
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竹の食器
 「竹はドラえもんのポケット」 逆転の発想でエコ食器に
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201003020041.html

軽い、割れない、熱くならない。三拍子そろった給食用食器を、大阪市平野区の町工場が開発した。一見プラスチックのようだが、実は竹を原材料に使う「エコ食器」。学校給食用にと全国の自治体などから注目されている。繁殖力が強く「嫌われ者」の放置竹林を、無限の資源ととらえた発想から生み出された。

竹は、昔は水筒になったりコップになったり、ししおどしになったりと、日本人にはなじみ深い植物。
我が家でも、子どもが、野外学習でコップを作ってきたことがあった。
(あのコップはどうなったのだろう?)
この竹の湯飲みでお酒を飲むと、青竹の風味が移って美味しさが増す。
アウトドアでは、竹にお米を入れて炊く方法もある。
これもまた美味しい。

その竹を利用して食器を作るのだから、太い竹を選んで、節の部分を上手に利用してお皿にする・・・発想力が貧困だから、そんなものだとイメージしていたらまったく違っていた。

竹を粉末化し、最初は石油を加工した樹脂を混ぜた。より自然な素材を求め、トウモロコシを加工した樹脂を試した。混ぜ合わせる割合を変えたり、十分な強度が保てるよう工夫したりしているうちに8年ほどかかった。

どうやら形状の自由度は高いらしい。

無機質なプラスチックの食器で、9年間給食を食べてきた個人的な感想としては、もちろん食器に対する思い入れも思い出も残っていない。
しかし自分たちが毎日使う食器が「身近な植物」であると認知することで、僕ら大人が相当意識しないと忘れてしまうエコロジカルな生活感を、自然と身につけることがてきるかもしれない。

何でもかんでもエコという風潮には、時としてげんなりすることがあるが、こういうエコはいいと思う。
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Twitterの現実
Twitter利用率、実は1割未満――富士通総研調べ(2010.03.02 RBB TODAY)
http://www.rbbtoday.com/news/20100302/66041.html

富士通総研は1日、「Twitter利用状況調査」のアンケート結果を発表した。同アンケートは15歳から64歳を対象に、インターネットで実施されたもの。回答数は5,451件。

それによると、Twitterの認知率は7割を超えたが、実際に利用している人は1割に満たない8.2%となった。

身近にネットに明るい者が多く、Twitterの明るい未来や可能性について熱く語られるので、もしかして相当な普及度?自分はかなり遅れている?と危機感を募らせていたのだが、現実はこんな程度だったという調査報告。

かつて鳴り物入りで登場した「セカンドライフ」にしても、今ではニュースに取り上げられることもなくなり、身近に「やっている」という者も皆無。
反対に、色々苦情や改悪が多いけど、それでも会員数を伸ばし続けているmixiは、なんだかんだ言っても日本人の心をきちんと捉えていると言うことか。

それにしてもTwitterの持つ、口コミ・ネットワークの可能性には、少し期待もしている。
ある友人が語っていたことだが、Twitterのフォローされる数に応じて商品やサービスを値引・・・等というサービスが一般化すれば、一気に普及するような気もする。
(携帯の割引クーポン券の代わりとして)
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心理職の値段
 発達障害児の支援拡充 那須烏山、臨床心理士を採用(下野新聞 2010.02.22)
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20100221/285780

市は新年度から、発達障害の早期発見や支援のための5歳児発達相談事業の拡充へ、新たに臨床心理士1人を常勤として採用する方針を固めた。市こども課によると、県北地区では大田原市が常勤の臨床心理士を配置しているが、人口規模の小さな自治体では珍しいという。

那須烏山市は平成の大合併で誕生した県北部の人口3万人弱の小都市。
記事にある「珍しい」とは、記者はどこに焦点を当てているのかは定かでないが、僕には二重の意味で珍しい取り組みだと感じられた。
1つめは「発達障害の支援」に限定して臨床心理士を採用するという点。
2つめは臨床心理士が「常勤」であるという点。

何しろ自治体が雇用(契約)するケースで最も多いと思われるのがスクールカウンセラーだが、僕が知っているいくつかの自治体では、年度契約だし非常勤だしで、スクルーカウンセラーだけで生活するなんてまったく不可能なのが現実と聞く。

しかし那須烏山市の今回の取り組みは「常勤」である。
これは先進的な取り組みだと感心しながら読み進め、最後の一節で愕然とする。

23日に発表する市の新年度一般会計当初予算案に約270万円を計上する。


事業費が270万円であって、臨床心理士の報酬が270万円ではたぶんない。

もちろん、採用する側の自治体にも事情があるだろうことは理解できるが、これで、どれくらいの経験や技能を持つ心理士だったら納得するのだろう。

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キンカ堂が自己破産
<ローカル・ネタ>

手芸専門店、スーパー展開のキンカ堂が自己破産 負債46億円(産経ニュース 2010.02.22)
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100222/biz1002221403015-n1.htm

同社は 1945年に中古衣料品類販売業者として創業。衣料、生地などファッション関連のほか、雑貨、食品販売も手がける総合スーパー「キンカ堂」を埼玉・栃木など北関東一円を中心に展開、92年2月期には売上高約732億円をあげていた。

足利市で昭和40〜50年代に子どもだった僕らにとって、キンカ堂は衣料用品店でもスーパーでもなく、間違いなく「デパート」だった。
屋上には、巨大なゲームコーナーとゴーカートのコースまであった。
足利でフードコートが設けられたのも、たぶんキンカ堂が初めてではなかったか?
後のリニューアルでは足利で最大級の規模を誇るブックコーナーが誕生。
何よりもコミックの在庫数に驚喜したものだ。

高校生の時には食料品売り場でバイトをしたこともある。
友人と暇をもてあそんだときは決まってキンカ堂をブラブラ。
キンカ堂に入れば、必ずと言っていいほど知り合いと出くわした。

足利から大規模店舗が次々に消え去って、たぶん最後まで残っていたのもキンカ堂だったと思う。
それが閉店したのは10年ほど前か?

2002年からは手芸専門店バイハンズを中心とした出店を進めてきたが好転せず

この転換は、当時何度かニュースに取り上げられていたことを憶えている。
当時は好意的な紹介のされ方だったと思うのだが、業績回復には至らなかったのか。

しかし、僕自身は子どもの頃は確かに頻繁に訪れていたが、これが業績に貢献していたとはとうてい思えず、では成人して足利に戻ってきてからはどうだったかといえば、売上に貢献するどころか利用することもほとんどなかったわけだ。

もしかしたら「郷愁」というやつは、失われる(衰退する)さだめにあるものに対して生じる感情なのか。

なるほど、実家近くに幼少の頃から利用し、今も現役のかき氷屋があって、今ではすっかり有名店になってしまったが、当時のこと(アイスキャンデー1本5円の記憶)を思い出すことはあっても、この店に対して懐かしいと感じることはない。
「懐かしい」というより「すごいな」という感嘆。
http://star.ap.teacup.com/weekender/464.html
http://blog.goo.ne.jp/takunora-menblog/e/ebd992112f38fec71943ac8b4c498895

つまり、どんなに古くから親しんでいても、現役に対しては郷愁は感じられない。
というかそもそも「失われるさだめ」などという表現そのものが、すでに感傷的すぎることに気づく。
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就労の難しさ
 『子煩悩』評判の一面… 服役後連絡途絶え 竪山容疑者(東京新聞 2010.02.18)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010021802000055.html

千葉の女子大生殺害事件の容疑者が、かつては家庭を持ち、普通の生活をしていたとの追跡記事。
事件の悲惨さも注目されたが、もう一つ気になるのは、容疑者が、刑務所を出所しわずか数ヶ月で今回の事件に至った点。

法務省によると、刑務所を出所して六年以内に再び刑務所に入る受刑者の割合は45%(二〇〇三〜〇八年)に上る。刑務所は社会復帰に向けた矯正が期待されるが、出所後の対策も含め、うまく機能しているとは言い難い現状がある。

更生を目的とした日本の受刑制度ではあるが、実際のところ機能していないと考えて間違いないような気がする。

法務省や刑務所などは、保護観察所などと連携し、仮出所者らに対する就労、生活支援を行っているが、満期出所の場合は本人が支援を求めないと、出所後のケアはない。

考えてみれば、リーマンショック以降、派遣切りなどで無就労者が増大し、そもそも一般人が職にありつけない現代。
刑期を終えたものが、簡単に仕事が見つかるとはどうしても思えない。
同記事の中で刑事政策に詳しい中央大学の藤本哲也教授はこう語る。

「出所者の帰住先や就労先の確保は大きな課題だが、現状は出所する高齢者や障害者への福祉的な支援が始まったばかりだ」

であれば、健康な受刑者への支援などないに等しい。
そして日本には、もっと以前に解決しなければならない就労問題が山積しているのだから、受刑者の就労支援が後回しになっている件については「仕方ない」ことと割り切るべきなのかもしれない。

しかし、個人的にはこの問題はもっと優先すべきと思う。
それは、出所後のかれらの再犯率が高いという事実があるから。

われわれが「誰もが安心して暮らせる社会」堅持を願うなら、この問題は後回しにすべきことではないのだ。
間違いなくそう思うのだが、そもそも「仕事がない」現代の日本において、いったいどんな策が取れるのかと考えてみると、かなり難しいと言わざるを得ない。
適当な案をひねり出そうにも、誰もが考えそうなこと、そして効果が感じられないことばかり。

「刑期を終えて出所してみたら、国営の受刑者専用大規模工場での低賃金住み込み労働が待っていた・・・」

これで更生率が格段に向上するとは考えられない。
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お寺のチャレンジ
浜松の龍雲寺で婚活イベント−7寺院が協力、仏式への関心喚起も(浜松経済新聞 2010.02.17)
 http://hamamatsu.keizai.biz/headline/74/

西湖山龍雲寺で3月14日、婚活企画「吉縁会」が開催される。同企画は、龍雲寺の副住職、木宮行志(こうし)さんが発案し、浜松・磐田の7つの寺院が中心となり近郊の寺院などが協力して開催に至った。寺はもともと地域に根ざした活動をしており、縁結びの役目も果たしてきたという。

 男女合わせて60人の定員に対し、予想を上回る100人近い応募が寄せられた。今回は先着で20〜40代の男女独身者84人が参加する。

 当日は、京都妙心寺御用達の精進料理店「阿じろ」の板前を招き、精進懐石料理のフルコースを楽しみながら開かれる。そのほか、参加者が協力して精進料理を作る企画や、参加者同士がゆっくりと談話のできる時間なども設ける。

 今回の反響もあり、すでに次回開催の計画もあるという。木宮さんは「あまり聞いたことのない企画だが、これを通し、ご縁が広まれば。仏式の結婚式に興味を持っていただいたり、今後寺に寄るきっかけになってくれたりすれば」と期待を寄せる。
http://www.ryouun.com/kitien.htm

日本の寺の多くが「葬式寺院」と化して久しいが、何も高尚で厳しいイメージが寺院の本来の姿ではない。
江戸時代の宝くじ=富くじは、寺社普請のため社寺が開催しており、寺院は他にも様々なイベント興行をしていたという。
(安藤優一郎「大江戸お寺繁昌記」平凡社新書 2009.11)
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%8A%E5%AF%BA%E7%B9%81%E6%98%8C%E8%A8%98-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%89%E8%97%A4-%E5%84%AA%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4582854958

となると、お寺が婚活イベントを開催しても不謹慎と言うことはない。
それどころか、主催者の意図どおりに、法事や観光以外でお寺に親しむ良い機会となるかもしれない。
これはとても良い取り組みだと思う。

さて、今後このようなイベントや取り組みは全国的に拡がるのではないだろうか?
というのも、たぶん日本の葬式は劇的に低予算化されると考えられるから。
(今後は「密葬=家族葬」が主流になると考えられる)
結婚というイベントが、ジミ婚から豪華な披露宴まで多様化(両極端化)したように、恐らく葬儀も家族葬から演出過剰な式典まで多様化(両極端化)すると考えられる。
選択肢が拡がるわれわれとしては歓迎すべき変化であるが、お寺にとっては重要な収入源が激減する可能性もある。
お寺の収入は何も住職の贅沢のために必要なわけではない。
ほとんどか木造建築である寺院は定期的なメンテナンスを施す必要がある。
お寺の収入は、その原資としての役割を担う。

ということで回りくどくなったが、お寺が葬式以外の事業展開を図るのは歓迎すべき変化だと思う。
檀家の誰かが死ぬのを漫然と待つ。
市民の厄年を調べて、大量にお節介なDMをばらまく。
そんなマイナス思考のお寺と親しみたいとは僕は思わないし。

しかし危機感を持つ僧侶の中には以下のような活動を始めている方もいらっしゃる。
「インターネット寺院 虚空山 彼岸寺」
http://www.higan.net/

小さな挑戦が、いずれ大きな潮流になることも充分にある。
今後も注目すべき取り組みの一つ。
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理解のある時代
性同一性障害:文科相「思い尊重を」(毎日jp 2010.2.12)
 http://mainichi.jp/select/science/archive/news/
2010/02/12/20100212dde041100029000c.html


性同一性障害(GID)と診断された埼玉県の公立小2年の男児(8)が、学年の途中から女児としての登校を認められたことについて、川端達夫文部科学相は12日の閣議後会見で、GIDの子供への支援に積極的な姿勢を示した。川端文科相は、埼玉のケースを確認していないとしつつ「当人にとって非常にアイデンティティーにかかわる問題。本人の思いを最大限尊重してあげるべきだと思う」との見解を示した。そのうえで「法的な制度など幅広く検討する時期に来ている」と述べた。

近年はTVにもニューハーフと呼ばれる人が多数の登場しているし、
広く性同一性障害の存在も知られ、
しかも性同一性障害であるから、
何かしら社会適合性に欠けるなどという誤解も薄れ、
とうとう文科相が性同一性障害についてコメントする時代になった。

知的障害者にしても今回の件に関しても、
世の中はずいぶん「多様性」を容認できる社会になってきたと思うのだが、
逆に大きな枠組み(国家間や宗教問題)となると、
どうして原理主義が幅をきかせるのだろう。

結局、さまざまな障害者は、日常においては他者であり、
自身に危害を加えることはないからか。
言い換えれば、たとえ身近にどんな障害者がいても、
自分のアイデンティティは揺るがない。
こんな当たり前のことも、
かつては「存在をも否定」していたわけだから、
ずいぶん理解のある社会に変容したと言える。
(ただしこれは「受容という名の無関心」と変わりないが)

翻ってイデオロギーや宗教の違いは、
これこそが個人と関わることのない、
次元の異なる問題と思われるのだが、
実際は自身のアイデンティティを揺るがしかねない
受容するなんてとんでもない関心事だということか。

こう考えると、現代は理解がある時代なのかそうではないのか疑問になる。
この時代は、本当はどちらに進むのだろう。
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